<松居松葉  「夜半の声」

 これは「悪人手形帳」というシリーズの中の一篇である。
伊藤秀雄は、岡本綺堂と同時代の「捕り物帳」の中では見るべきもののある作品として、この「悪人手形帳」を紹介している。
 以下は伊藤の書いたあらすじを要約したものである。

 凶悪犯人の都築辰吉が脱獄し、その頃、芸妓の小奴が惨殺死体で発見された。小奴は胸を刺され、手拭いで絞殺されていたが、手拭いには小奴と犯人の血の手形が残されていた。
 警察では都築を疑うものが多かったが、水沢という探偵は都築の仕業ではないと言っていた。
 ある日水沢が警察署へ向う途中で、怪しいそぶりの男を見かける。その男は、しばらく歩くと、立止まって靴の紐を結び直すか、ステッキを落してそれを拾う。そのたびに、ポケットからぐみの実を取り出しては、それを往来に一つずつ落していく。
 怪しんだ水沢が後をつけると、いつのまにか男と並んで歩いていた学生が、男の立ち止まるたびに自分の前の壁などにチョークで丸に十字の印をつけるのに気づいた。そのうちに、二人はとある空家に飛び込み、二階に上って行った。
 中から作業服を着た都築が現れ、先程の二人に駄賃を渡した。
 都築は、小奴殺しを自分の仕業ではないと言ってくれた水沢に手柄をたてさせたやりたいといって、引き裂かれた羽織や割れた眼鏡、血まみれの九寸五部(ナイフのことか)などの入った新聞包みを差し出した。事件の晩に夜釣りをしていたら、上から投げ込まれたのだと言う。
 結局、都築の手形と、先の手拭いの手形が一致して、都築の真犯人だったことが分かる。都築が持ってきた証拠品も都築の盗んだ品触の中から出たものだった。
 都築は水沢が自分の仕業ではないと言ったので、急に水沢をからかいたくなってそんなことをしたのだった。
 それ以来、水沢はどんな小さな事件でも、必ず捕まえた犯人の手形を取るようになった。
 水沢の帳面の表には、「悪人手形帳」と書いてあった。 

(『大正の探偵小説』、小林秀雄、p.179-181)

 ルパンファンなら、これがルブランの『赤い絹のスカーフ』の翻案であることがすぐに分かるだろう。
 都築が水沢を呼び出した方法は、ルパンがガニマールを呼び出した方法とまったく同じで、違うところと言ったらぐみの実とオレンジの皮程度のものである。
 小奴の殺され方も、新聞包みの中身もほとんど変わらない。
 ルパンはガニマールを呼び寄せた二人に謝礼を渡すし、作業員の変装もする。
 証拠の品が、橋の上から投げ落とした、という設定も原作を踏んでいる。ただ、この作品ではこれは都築の芝居と言うことになるわけだが。

 ここまでは、一目瞭然、両者を読み比べれば検討の余地もない。都築が水沢を呼び寄せる方法は特殊過ぎて、偶然の類似ではありえない。オレンジの皮をぐみの実に、シルクのスカーフを手拭いと置き換えただけである。

 しかし、『夜半の声』が原作をなぞるのはここまでなのである。
『赤い絹のスカーフ』では、ルパンが自分の推理を披露して、ガニマールを手足として使い、犯人を逮捕させるのである。
確かにルパンがガニマールをおびき出す方法は面白みがあるが、ミステリとしては後半こそが盛り上がる。
松居がその後半をぶった切ってそのまま都築を犯人としてしまったことは、ミステリファンとしては惜しまれる所だ。
 もっとも、小林は別の個所で明治時代の日本には本格探偵小説は受け入れられにくかったことを再三指摘している。
 この時期にも本格探偵小説を受け入れる土壌が出来ていなかったために、敢えて後半部分を割愛せざるを得なかったことも十分考えられるのである。

 残念ながら小林はあまり熱心なルパン読者ではないようで、 江戸川乱歩の『妖怪博士』でも、この作品と同じ「誘き出し」の方法が使われているのを、松居の影響だろうと指摘している。
 しかし、『怪人二十面相』にあれだけ顕著に怪盗ルパンの影響が出ている以上、ルパンから一旦松居というクッションをはさんでいると考えるより、直接ルパンものの影響を受けて『妖怪博士』も書いたと考えるほうが自然である。
 ただ、江戸川乱歩が松居の『夜半の声』を読んでいることも事実のようだ。
 乱歩は、もともと松居というルパンものの翻案(あるいは敢えて強い言葉を使えば剽窃)の前例を前もって知っていたが故に、自作にもルパンものの翻案をふんだんに使うことに余り抵抗がなかったのではないだろうか。
 そういう形での影響と言うのが、私には最も理解しやすく思えるのである。

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