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モーリス・ルブラン プロフィール
Leblanc,Maurice
1864年12月11日 ルーアンの裕福なブルジョワ家庭に生まれる。
父親はフランスに帰化したイタリア人で、音楽の才能も絵の才能もあったが、芸術の道を捨て船主となり、英仏間に幾つかの航路をうちたて、財産を築いた。母親はノルマンディの古い家柄の生まれで、逞しく陽気で良識家でも感情的でもあったというが、
45歳で急死している。
モーリスは、妹ジョルジュエットと供にほとんど姉のジュアンヌに拠って育てられる。
パトリ寄宿舎・コルネーユ高校では古典や歴史で優秀な成績を収めたが、彼自身はあまり 学校が好きではなかったようで、
「私にとって高等中学は、むしろただの黒ずんだ壁に過ぎなかった」
と書いている。
卒業後は、一年間という期限つきで志願兵として服役。 その後、一年半のヨーロッパ漫遊旅行に出かける。 それは、当時のフランスのブルジョワの子息の間ではよく行われていたことであったようだ。
旅行から帰ると、父親が決めた梳毛機製造会社に就職する。 ミルード=ピシャール商会というその会社は、業界ではトップクラスだったが、
命じられるままに就職したものの、全く熱心さに欠けていたようで、 工場の片隅や、営業だといって外出したさきの川のほとりなどで、書き物ばかりをしていたという。
中学・高校時代、モーリス・ルブランのこのエピソードに慣れ親しんでいた私は、後日スタンダールの『赤と黒』を読んで、工場の梁にまたがって本を読みふけるジュリアン・ソレルにルブランの影を重ねたものだった。勿論、かたや出世を夢見る貧乏工場主の息子、
かたや商売の道に魅力を見出せずにいる大船主の息子で、両者の境遇はそれほど似ていない。
しかし、彼の性格を際立たせているジュリアン・ソレルの自尊心の強さ、 さりとてルパンと比べるには余りにも世間ずれしていず、一面で非常に真面目な性格は、ひょっとしたらルブラン自身はこの有名な主人公に似ていたのではないかと、そんな風に思わせるのだ。
さて、就職後わずか数ヶ月で、モーリスは「商売には向いていない」ということで、 ミルード=ピシャール商会を辞めることになる。とはいえまだ文学で身を立てる自身がなかったモーリスは、
パリで法学の勉強をするということで父親の了承を得る。しかし、実際には彼は新聞社の編集室にばかり通っていたようだ。
やがて彼は<ジル・ブラース><フィガロ><エコール・ド・パリ><オト>といった新聞に記事・コント・短編を掲載するようになる。
彼の作品は一般大衆からの反響は少なく、原稿料もわずかではあったが文壇では高い評価を得ていた。
そしてピエール・ラフィットとの出会い。
この友人の依頼でモーリスは『アルセーヌ・ルパンの逮捕』を書いた。一度きりのつもりで、彼はこの主人公を登場させるなり逮捕させてしまう。しかし、一度書いてしまったものは取り消せない。ルブランはルパンを生んでしまったために、自分の人生を一変させることとなる。
彼は文壇での栄光を諦めなければならなかったが、代わりに原稿料も出版部数もそれまでとは比べ物にならないほど上がった。また、物語作家としての功績を称えられて、レジオン・ドヌール勲章に叙せられた。
しかし、これほどまでに偉大な英雄を生んだことは、作家としては幸福であると供に、 時として大きな悲劇でもある。丁度コナン・ドイルがホームズを疎んでモリアーティ教授に殺させようとしたように、
ルブランもしばしばルパンを厄介ものだと思わないではいられなかった。ルパンは余りにも強大で、ルブランは彼の父親としてしか認められなかった。
晩年のルブランはルパンの影を恐れ、ノイローゼ気味であったというような話さえ聞く。
1941年11月、パルピニャンでルブランは77歳の生涯を閉じた。 |