夏彦 VS 秋彦

 かつて、コナン・ドイルは、自らの生んだ至上の名探偵、シャーロック・ホームズの為に苦しめられました。
ドイルは本当は歴史小説を書きたかったのですが、読者も出版社も、彼を離してはくれませんでした。
彼にホームズものを書きつづけるよう要請して止まなかったのです。
 モリアーティ教授は、どうにかホームズものを終わらせたいと願ったドイルが、ホームズを殺させるために生んだキャラくだーだと言う説がありました。
にもかかわらず、読者や出版社はホームズの復活を願い、ドイルは再びホームズを登場させないわけには行かなくなります。

 ルブランは、ドイルに比べると進んでルパンものを書いていたように見えます。
ルパンを引き立てるためにホームズを無断借用してドイルから苦情を受けたり、自分の荘園を「ルパン園」と名づけたりしているからです。また、ルブランがルパンと似ていた、というルブランの知人の証言などもあるようです。 しかし、もともとは純文を書き、マイナーながら文壇の期待を受けていたルブランは、やはりこれもルパンによって苦しめられる事になるのです。
 ルブランは、「ルパンが追いかけてくる」といって晩年はノイローゼにかかっていました。

 自分の生んだ登場人物の影となってしまう。それは多分、真に魅力的なキャラクターを持った作家には避けて通れない苦しみなのではないでしょうか。

  京極夏彦が、いつかインタビューで「普段僕自身が黒の着流しを着て、中善寺と同じ格好をしていると思っているファンも多いのではないか」というようなことを言っているのを読んだとき、京極夏彦もまた、ドイルやルブランと同じ苦しみを味わっているのではないかと危惧せずには居られませんでした。
 京極夏彦の同様のコメントは、一度ならず繰り返されています。
 デビュー作『姑獲鳥の夏』に始まる一連のシリーズを、京極氏は「中善寺一人が主人公な訳ではないから、『京極堂シリーズ』と呼ぶのは芳しくない」という趣旨の発言をしたこともありますが、これも「京極夏彦=京極堂」の幻想、あるいはキャラクターに苦しめられる作家という図式を打破せんとの意図が見え隠れしている―――と、そんな解釈が出来ないでしょうか。

 京極夏彦。そして京極堂こと中善寺秋彦。実際、作家の分身としてあるはずのキャラクターが、主客転倒してしまうことも何割かの読者の中ではありえるでしょう。それはドイルのホームズ殺し、ルブランのノイローゼが証明しています。
 キャラクターの分身として位置付けられる作者。余りにも魅力的な探偵を生み出したがゆえの苦しみです。
 しかし、自らの筆名と、主人公(の代表格)の名前を似せたのは、京極夏彦自身の明確な意思によるものです。
 それでは、京極夏彦は、自らの首をしめたことになるのではありますまいか。

 京極夏彦の前述のコメントは、彼がこう言った状況を自覚しているがゆえの発言とも取れるのです。
そもそも、京極夏彦が『どすこい(仮)』を書いた背景には、それまでの自らのイメージを払拭したいという意味もこめられていたのではないでしょうか?

 「テキストだけで読者に接するのが理想」といっていたにも拘わらず、盛んにテレビや雑誌に顔を出すのは、(ビジネスとしていた仕方がないのも事実にせよ)キャラクターの分身となってしまわないためと考えればより理解しやすいように思えてなりません。

 根拠の薄いことばかり次から次へと、つらつら述べすぎたようです。
 まあそれこそいつか、中善寺に託して京極夏彦が言っていたように、「解釈なんてものは幾らでも後からくっつけられる」と言う見本と、お聞き流しください――――。

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