関口 巽
胡乱なる語り手、関口。
関口の胡乱さこそが、『姑獲鳥の夏』の世界を保証している。 『塗り仏の宴』もまた、関口の胡乱さに拠って立つところが大きい。
胡乱なる所以を解き明かそうとするならば、もっと両親や幼少期のことが語られても良さそうなものだが、案外語られることがない。
せいぜい両親が厳しい教師だったという程度だ。敦子とのからみがある分、京極堂の方がまだ幼少期が見えてくるくらいだ。 関口の胡乱さは、常に既得のものとして描かれている。
いや。胡乱なる所以を関口の過去に求めるということは、京極夏彦の嫌うプロファイリングを行うことに他ならない。それゆえ、敢えて描かれることがないのかもしれない。
いつもどこか不安で劣等感に苛なまれ、口を利くたび後悔している。私は時にこの男に強いシンパシーを感じる。
そして、登場人物というのがすべからく作者の分身ならば、京極夏彦の中にも関口はいるのだろう。