京極夏彦の手法2・落語
京極夏彦の作品には、よく独白シーンが出てきますね。
でもこれ、まあ正確には独白ではない。
本来は会話なのだけれども、会話の一方の台詞だけを書く。
そうしておいて、読者に話が通じるよう、
登場人物に相手の台詞を繰り返させる。
ちょっと一例をあげてみましょう。
は。
し、下田署の―――。
ご苦労様でございます。
はい。遠路おつかれさまです。
淵脇、淵脇巡査でありますッ。
は。
いえ。本官はここに配属になりまして、丁度二年であります。は?
いえ。自分は九州の出身でありますが、叔父が静岡県の―――はい。そうであります。本部の―――いいえ、警邏部であります。はい。その縁故で警官に。
はい。
あ―――。
前任?
そうでありますか。十五年前の。はあ。いいえ。ここは良い処であります。はあ。いいえ。け、決してそんな意味では―――。
『塗仏の宴 宴の始末』講談社NOVELS P.324より抜粋
これって、落語の手法を取り入れたものではないかと思うのです。
まあこのシーンだとちょっとシリアス過ぎてピンとこないかもしれませんが、
「するってえと、何かい。お前さんは云々かんぬんと、こう云うわけかい?
―――ばかいっちゃいけねぇよ。」というように、
相手の台詞を反復することで会話の全体を見せる手法であることは
見て取れるかと思います。
同じく『塗仏の宴』の内藤の独白もそうですね。
もっとも内藤の場合は、途中まで別の人物の台詞とも取れるような書き方をして、
読者にトリックを仕掛けるという効果も同時に果たしているのですが。
まあ読者のミスリードについては別の機会を設けるよう努力するということで。
これは要は堂島の視点なんでしょうね。
堂島の存在を隠してるからこういう書き方になるのでしょう。
巷説百物語』の一話目、「小豆洗い」でおぎんと治平が
怪談を語るシーンでは、特に落語を思わせます。
もともと一人語りの状況が似ている所為もあるのでしょうが、
落語の存在しない海外で書かれた古典ミステリの独白などと比べると
違いが良くわかるのではないでしょうか。