榎木津 礼二郎

京極夏彦は随分と読者受けを狙ったあざといキャラクター作りをする作家だ、というのが榎木津に関する最初の感想だった。
眉目秀麗で財閥の御曹司、頭は切れるときておまけにあの破天荒振りでは、購入意欲の高いファンがつかないわけがない。
時折見せる真面目な表情がまた、如何にもなのだが、抗いがたい魅力なのだ。
そしてそれは京極夏彦の作品全体にいえることだ。
如何にもなおどろおどろしさ、カットバック、改行などの手法の全てが、一歩間違えば臭くてどうにもならなくなりそうなのだが、ぎりぎりの線で上手く噛合っている。

榎木津に関して私が最も興味深く思っているのは、彼が父親に対する場合に関しては酷く常的な言動を取ることである。
例えば『魍魎の匣』では、柴田のことを「偉いんだよ」というが、普段の彼であれば財閥の規模や権力を基準に「偉い」などとは口が裂けてもいわないだろう。
『百鬼徒然袋(風)』の「面霊気」では、榎木津が父親に対して見せる素顔をこれまでにないくらいに垣間見せてくれた。

榎木津に関するシーンで最も好きなのは、『狂骨の夢』の「僕も神だ」のくだりと、『塗仏の宴』で京極堂を唆すシーンだ。
2つの場面とも、それぞれを境に榎木津は何かを吹っ切っようにも思える。
自分の言動が周囲に与える影響に、榎木津もまた自覚的になったように思えるのだ。

以前、京極夏彦に対する評論書で、登場人物がおよそリアルでない、書かれていたのを目にしたことがある。
榎木津などは現実離れした登場人物の代表格かも知れない。
京極夏彦は「商売でやってるんだから」というかも知れないけれども、文学にしたところで、 いかにもいそうな人間をそのまま書けば、読み手がそこに人間を見出すわけではない。
デフォルメされた榎木津というキャラクターの葛藤する姿に、いまや私は何がしかの人間を見出さずにはいられない。
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