悪夢の考証
関口は作中、しばしば悪夢にうなされる。
しかもその悪夢夢は、事件の行く末を暗示させるようなものである。
見も蓋もないことを言ってしまえば、作者である京極夏彦の同じ頭から出ているんだから、何の不思議もありはしない。
ただ、作中ではそれは「不思議なこと」になる。
「私は何だかとても厭な気分になった。さっきの夢が過去の出来事の再構成なのか、これから起きる出来事の予知夢なのか判らなくなったからだ。」
(『魍魎の匣』講談社文庫 P.251)
京極夏彦は、関口に暗示的な夢を見させることによって、何を表現しようとしているのだろうか。
- 事件の行く末を暗示させる必要性が先にあって、単にそのために都合のいい駒だと思われている。
- 常に狐にでも化かされているかのような超方向音痴の鳥口と並んで、原因の解明されない特質を描くことで、物語の怪しい雰囲気を強調している。
- 関口の胡乱さを強調している。
- 潜在的に特殊な能力を持った人間として描こうとしている。
- 表面は胡乱だけれども、無意識に事件を再構成して真相を見ぬく力のある、実は頭のいい人間として描こうとしている。
- 姑獲鳥のケース(「『関口君、君はひょっとしたら、いまでは失われているウブメを解析する論理を持っているのかもしれないな』」『姑獲鳥の夏』講談社文庫 P.74)同様、
失われた妖怪の論理を解析する能力の延長として描かれている
@Aは、関口の本質がどうのではなくて、話しの都合で手ごまにされているだけ、という説。
Cだとすると、特殊能力というのはつまり予知夢とか読心術になるわけだけれども、 京極堂が京極夏彦の代弁者であるなら、両方とも嫌いだろうから考えにくい。
これは、先に「京極堂の主張=京極夏彦の主張」という命題の是非を問わなければならないけれど。
Eは、少なくとも『魍魎の匣』には当てはまりらない。
なぜなら関口が見ているのは箱とバラバラ殺人の夢であって魍魎の夢ではないからである。
できればEに近い形でまとめられれば美しいのだが、なかなか難しい。
とりあえずここでは問題提起のみとさせていただこう。
一つの明確な答えが出る問いではないが、こんな切り口で京極堂シリーズを読みなおして見るのも面白いのではないだろうか。