京極堂 こと中禅寺秋彦

京極夏彦の分身であると強調するかのような名前を与えられた京極堂だが、 心霊嫌いなどその主張や発言も実際かぶるところが大きい。

デビュー作を書くに当って、特別な研究はしていないというのだから、京極堂の知識は即ち京極夏彦の知識ということになる。
ならば作中の京極堂への評価から、京極夏彦の自己評価が伺えるのだろうか。

しかし、意図した以上にキャラクターと同一視され、京極夏彦は少なからず苦痛を感じたようだ。
実際、京極夏彦はかつてインタビューにおいて「自分と京極堂とは別物である」とあえて断っている。
しかし、京極堂に限らず登場人物の考えというのは、当然ある程度は作者の影響を受けているはずである。
作者自身の思想と一致しないにせよ、作者が発想もつかないところには行き着かないのだから。

もともとミステリには作者自分と同じ名前、あるいはよく似た名前の登場人物を登場させるケースがまま見られる。
ある場合は、あたかもその小説が実話を元にしたものであるかのように錯覚させるためである。
(作者=語り手となるケース、たとえば怪盗ルパンはルブランがルパンから聞いた話という体裁をとっている。)
あるいはエラリー・クイーンのように「このように見られたい」と思っている自分を描いているのだろうと思われるケースもある。
この場合前者のケースではないことは確実であるのだから、特に外部からの「意図した以上の同一視」というファクターを受ける前の『姑獲鳥の夏』では、 京極堂を通して京極夏彦の一部が垣間見えはしないかと、ついつい期待してしまうのである。

さて、仏頂面で余り声をあげて笑わない京極堂だが、木場修といる時には声をあげて笑うようだ。
自分と正反対の人間だからこそ惹かれるのだろう。
但し、百鬼徒然袋では徐々にキャラクターが崩れてきて、爆笑を堪えながら肩を震わせたりしているが。

京極堂は榎木津の暴走をセーブできる唯一の人間だ。
しかし「塗仏の宴」で唆されて以来、どうにも振りまわされぎみである。
関口と京極堂の間のような、あるいは榎木津と木場のような素直ではない関係に比べると、この二人は非常にストレートな友人関係を築いている。
かえってそれが京極作品の中では珍しいと感じる。

京極堂に関して公開されているプロフィールは、案外少なくない。
両親はいたが「縁の薄い」家族で、妹・敦子とは別々に育てられた。
一高を卒業しているということは、成績優秀なだけではなくかなり裕福であったのだろうか?
(となると関口家も案外裕福だったということになるのだが・・・。関口が並み居る競争相手を押しのけて奨学金をとっていたというのも考えにくい)
家は安部清明の流れを汲む神社であり、すでに家業を継いでいる。
彼の父も同じ副業で京極堂の学費を稼いでいたのだろうか。
戦争中は宗教的洗脳の研究、その前だったか後だったかで教師をしていたが、今はやめて古書肆を本業にしている。
謎めいた印象の京極堂にしては、案外前歴が明らかにされているのである。

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